「おいしい」の話。



カフェの人は、どうして「カフェ」を選んだのかな。



おいしいケーキを作りたいなら、パティスリーの方が専念できる。

やさしい焼き菓子を届けたいなら、テイクアウトのお店という手だってある。

コーヒーの魅力を伝えたいなら、スタンドが気軽だし

豆屋さんや焙煎士さんだって、尊敬できる仕事。

手作りごはんで喜んでほしいなら、定食屋さんや食堂

もっと高みを目指すなら、老舗寿司屋か星付きレストランで

腕を磨いているかもしれない。


でも、カフェの人は「カフェ」を選んだ。



なんで、「カフェ」にしたのかな。






カフェに行く人は、どうして「カフェ」を選ぶのかな。



美しいケーキを求めるなら、名店と呼ばれるパティスリーが間違いない。

手作り焼き菓子が恋しいなら、テイクアウトでたっぷり買って家でも食べられる。

本格派コーヒーを飲めるスタンドも、

家庭的なごはんを作ってくれる定食屋さんや町中華も

たくさんたくさんある。


でもあえて、「カフェ」に行く。





なんで、かな。






なんで、ですか?






食べもののお店であり

飲みもののお店ともいえる場所だけど


カフェには必ず

「おいしい」とか「食べる」だけじゃない

カフェである意味があると思う。


中の人にも、行く人にも。






おいしいごはんやおやつが好き。

鮮やかなプレートランチやかわいいケーキも大好き。

自家製ドリンクって惹かれるよね。


だから、

あれが作りたい。 食べたい。

季節限定メニューがおすすめです! 美味しそう!


そんな小さなやりとりはごくごく自然で

きっと

カフェの人にとっても、カフェに行くひとにとっても

すごく楽しくて幸せなこと。







「あぁ、おいしかった」。






だからこそ、カフェという場所にとってそのひとことは

たくさんの意味をもつと思う。


ただ満腹中枢が満たされただけでも

味覚として優れていただけでも

甘いものなら何でも良かったわけでもなければ

ましてや、限定ものをゲットできた優越感だけではない


もっと、大事な、気持ち。





その「おいしかった」のうしろには

その場所で過ごした時間とか、感じた気持ちとか

得られた発見とか気分の変化とか、

ぜんぶ、ぜんぶ、つまってるはずだもの。


もしそれがなかったとしたらそれは

ただ「カフェに行く」という動作と

「食べる」という行為をこなしただけ。

わたしもときどき、そんな風に何かを見失いそうになることが今でもある。






だからたまに、自分で自分を、見つめ直してみる。

「おいしい」の間に

どんな小さなことでも、何か感じられたかな

いいことあったかな、って。





えらそーなこと書いてるくせに、面と向かうと口下手だから

「おいしかったです」

って、ありふれた言葉しか言えないけど

少しだけでも伝わっているといいな。



「おいしい」のおかげで

ちょっと気持ちが軽くなったよって。



粉のカタマリ。

スコーンってほんと自由。 つくり手が「スコーン」と名付けてしまえば それがパンのようにふかふかであろうと クッキーのようにサクサクのぺったんこであろうと それは「スコーン」以外のなにものでもなくなるんだもの。 千差万別。 個性あふれる不思議な不思議な"粉のカタマリ"。 そこに込められた、店主のメッセージを 感じたい、伝えたい。

RIN

スコーンの人。
カフェエッセイの制作、ちょこっとライターもやってます。
スコーン求めて全国カフェ行脚。
ザクザク茶色い焼菓子とおいしいカレーが好き。